菊田医師事件(赤ちゃんあっせん事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:08 UTC 版)
「特別養子縁組」の記事における「菊田医師事件(赤ちゃんあっせん事件)」の解説
「菊田昇#赤ちゃんあっせん事件」も参照 菊田医師事件とは、1973年に産婦人科医菊田昇による乳児の出生書の偽装が発覚した事件で、特別養子縁組成立の発端になったとされている。 宮城県石巻市の産婦人科医であった菊田昇医師は、人工中絶、特に妊娠7か月以上で時に生きて出生する乳児の生命を絶つことに疑問を抱いていたことから、中絶を希望する妊婦に対し、出産して乳児を養子に出すように説得していた。同時に、子宝に恵まれないために養子の引き取りを希望する夫婦を地元紙で募集し、乳児を無報酬で養子縁組をしていた。その数は100人以上に及ぶと言われている。だが、当時の日本は特別養子縁組に関する法律規定が無く、養親が実子のように養子を養育できるように、また実母が出産した経歴が戸籍に残らないようにとの配慮から、乳児の出生証明書を偽造していたことが発覚。しかし、この事件を契機に、法律に違反しながらも100名以上の乳児の命を守ったことへの賛同の声が巻き起こり、実子として養子を育てたいと考える養親や、社会的養護の下に置かれる子どもが社会的に認知され、要望に応える法的制度が必要だという機運が高まった。妊娠7か月以上の胎児の堕胎も禁止された。記録書籍として 「この赤ちゃんにもしあわせを 菊田医師赤ちゃんあっせん事件の記録」菊田 昇 著 / 243頁/ 人間と歴史社刊がある。
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