菅沼曲水とは? わかりやすく解説

菅沼曲水(曲翠)

すがぬまきょくすい

生年不詳

菅沼曲水

曲翠とも。本名菅沼外記定常膳所藩重臣晩年奸臣切って自らも自害し果てる。『幻住庵の記』の幻住庵曲水叔父菅沼修理定知の草庵別号馬指堂。
曲水は、近江蕉門重鎮でもあり、膳所における芭蕉経済的支援をした。高橋喜兵衛怒誰)は弟。

  1. 火中止め書簡 (元禄3年4月推定)

  2. 曲水宛書簡 (元禄3年6月30日)

  3. 曲水宛書簡     (元禄3年9月6日)

  4. 曲水宛書簡(元禄3年9月12日)

  5. 曲水宛書簡 (元禄4年1月5日)

  6. 曲水宛書簡   (元禄4年11月5日)

  7. 曲水宛書簡    (元禄4年11月13日)

  8. 曲水宛書簡     (元禄5年2月18日)

  9. 曲水宛書簡  (元禄5年9月17日)

  10. 曲水宛書簡 (元禄5年12月暮頃)

  11. 曲水宛書簡   (元禄6年1月頃?)

  12. 曲水宛書簡    元禄6年2月8日)

  13. 曲水宛書簡   (禄6年11月8日)

  14. 曲水宛書簡   元禄7年1月29日)

  15. 曲水宛書簡    元禄7年2月23日)

  16. 曲水宛書簡  (元禄7年閏5月30日)

  17. 曲水宛書簡 (元禄7年9月25日)

曲水の代表作

昔誰小鍋洗ひし菫草(『嵯峨日記』)

若楓茶色になるも一盛り(『猿蓑』)

菫草小鍋洗しあとやこれ(『猿蓑』)

時鳥背中見てやる麓かな(『猿蓑』)

金平分別やすむ朝かな

むめ咲や臼の挽木のよきまがり(『炭俵』)

念入て冬からつぼむ椿かな(『炭俵』)

梟の啼やむ岨の若菜かな(『續猿蓑』)

若竹や烟のいづる庫裏の窓(『續猿蓑』)

水仙や練塀われし日の透間(『續猿蓑』)

灌仏やつゝじならぶる井戸のやね(『續猿蓑』)

練壁やわれて日のもる水仙花(『薦獅子集』)


菅沼曲水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 16:27 UTC 版)

菅沼 曲水(すがぬま きょくすい、万治2年(1659年) - 享保2年7月20日1717年8月26日))は、近江国膳所(現・滋賀県大津市)出身の武士、俳人。または曲翠とも。本名は菅沼定常、通称は外記、別号は馬指堂。菅沼定澄の子で、徳川家康に従った菅沼定盈の曾孫に当たる。膳所藩康俊系の本多家)では中老という重職に就き、また近江における松尾芭蕉の門人グループ・近江蕉門の重鎮として、芭蕉を経済的にもサポートした。 




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