若宮丸の漂流とは? わかりやすく解説

若宮丸の漂流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 07:41 UTC 版)

若宮丸」の記事における「若宮丸の漂流」の解説

若宮丸寛政5年11月27日1793年12月29日)に江戸へ向け石巻湊を出帆した。船の積み荷は、仙台藩廻米1332俵と藩御用の雑小間400本だった。しかし、風が薙いだため、若宮丸東名浜で風待ちした。11月29日若宮丸北西風を受けて東名浜を出航した若宮丸磐城平藩領の塩屋崎まで南下したところ、ここで風向き変わり、また波が船尾を超すほど荒くなり、11月30日若宮丸広野沖に停泊した12月1日時化のために、若宮丸は船を陸地寄せるよう試みたが、強風により沖に流されて陸地見失った12月2日になって若宮丸北風受けて江戸へ向けて走ろうとしたが、荒波に舵がへし折られ、若宮丸の漂流が始まった。船の転覆防止するため、12月3日帆柱切り捨てられ12月4日以降積み荷投棄された。この他に、乗組員は船の位置クジで占うなどした。乗組員飲み水とし、積み荷の米や、釣った、船に付着した貝類食料として飢え渇きしのいだという。 出帆からおよそ半年後の寛政6年5月10日1794年6月7日)、若宮丸乗組員陸地発見して上陸した乗組員10日ほど人家求めて歩き回ったが、人家はどこにも見当たらなかった。この間若宮丸船体は、波にくだかれて姿を消した。この島はロシア帝国支配するアリューシャン列島の中の小さな島だったと考えられているが、具体的にどの島かは特定されていない

※この「若宮丸の漂流」の解説は、「若宮丸」の解説の一部です。
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