自由民主党選挙対策副委員長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:49 UTC 版)
「菅義偉」の記事における「自由民主党選挙対策副委員長」の解説
2007年、第21回参議院議員通常選挙での自民党敗北を受けた内閣改造(第1次安倍改造内閣発足)では、自民党選挙対策総局長に就任した。 同年9月、安倍の首相退陣に伴い行われた2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持する宏池会の方針に反して麻生太郎を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選挙対策総局長を格上げした選挙対策委員長に古賀誠が就任すると、古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった[要出典]。 2009年7月、古賀が東京都議会議員選挙敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる[要出典]。 菅は自民党選挙対策副委員長だった2009年当時、同じ叩き上げの古賀誠・選挙対策委員長の下で、世襲制限を導入しようとした。具体的には衆院選マニフェスト(政権公約)に「3親等以内の親族らの同一選挙区からの立候補を(次期衆院選から)禁ずる」旨が明記された。しかし、党内の世襲議員から反発や抵抗を受け、なし崩し的に公約から姿を消した。
※この「自由民主党選挙対策副委員長」の解説は、「菅義偉」の解説の一部です。
「自由民主党選挙対策副委員長」を含む「菅義偉」の記事については、「菅義偉」の概要を参照ください。
- 自由民主党選挙対策副委員長のページへのリンク