腸閉塞による休演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:37 UTC 版)
「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の記事における「腸閉塞による休演」の解説
2005年12月より「急に食欲が減り胃が張る」という体調の異常に気付き、迎えた大晦日にプライベートで静養中の鎌倉で急に胃の激痛があり、救急車で都内の病院に搬送され診断の結果「腸閉塞」で入院をすることになるが、2006年2月20日より、レギュラー番組である『ミュージックプレゼント』の生中継で仕事に復帰している(生涯でこれほどの大病は初めてだと語る)。 なお、腸閉塞による入院加療中、レギュラー番組である『ヨークマート ミュージックプレゼント』(当時、ヨークマートはこの番組の冠スポンサーだった)は、ピンチヒッターを招聘し、月曜は本人が病室より電話での出演、火・木曜は歌謡司会の玉置宏による『懐かしの昭和歌謡』を放送した(美空ひばり、石原裕次郎、舟木一夫、橋幸夫、島倉千代子、テレサ・テン、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツ等といった一日一人{一グループ}をテーマに当時のエピソードを朗々と語る)。同じく水・金曜日は毒蝮の出演時と形態が一緒だが、落語家の三遊亭小遊三がピンチヒッターとしてヨークマートからの中継司会を務めていた(なお、三遊亭小遊三の代わりに、1月13日の中継は落語家の林家いっ平が、2月15日は三笑亭夢之助が司会を務めた。ちなみに毒蝮の復帰が決まった2月中旬ごろにヨークマート鎌ケ谷店からの中継の際、司会の小遊三が遅刻をし、放送時間の大半が経過した10時40分過ぎに到着するというアクシデントがあり、練馬の自宅からのアクセスが良くなく、申し訳ないと謝罪した。小遊三到着前までは、はぶ三太郎が場を盛り上げていた)。しかし、この番組のチーフディレクターによれば、ピンチヒッターについて「皆さん口々に『蝮さんみたいにはできないよ』と仰っていました。あの(蝮さんの)話芸はやっぱり誰にも真似できないことなんだな、と痛感しました」と当時の様子について話している。
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