能楽界への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:06 UTC 版)
能楽界全体にリーダーシップを発揮した梅若実・宝生九郎に対し、伴馬の影響力はあくまで限定的なものであった。しかし指導者としては、嗣子の櫻間弓川を初め、櫻間道雄、高瀬寿美之、本田秀男などの後継者を残し、特に弓川は伴馬譲りの技と謡の巧みさを以て、大正・昭和期を代表する名手に数えられた。また甥の道雄も晩年に至って、その芸を高く評価されている。 他流ではあるが、伴馬より一世代下で同じく巧技を以て謳われた名人・14世喜多六平太にも、伴馬からの影響が指摘される。六平太自身、青年時代に「邯鄲」を舞った際、伴馬の真似をして喜多流にない飛込みの型を演じ、流儀の古老に大目玉を食った思い出を語っている。六平太は同世代に、堂々たる芸風を武器とする初世梅若万三郎というライバルを抱えており、同じタイプの役者である伴馬が成功を収めたことは、自分の行き方への自信に繋がっただろうと息子・喜多実は述べている。 また野上弥生子によれば、昭和初期を代表する能楽研究者・野上豊一郎が本格的に能の道にのめり込んだのは、伴馬の芸に感銘を受けてのことであった。それを契機に野上夫妻と弓川とには深い交流が生まれ、それが子方なしの「隅田川」や、映画「葵上」など、多くの実験的活動に繋がった。
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