聖火の最終ランナーについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 22:43 UTC 版)
「1964年東京オリンピックの開会式」の記事における「聖火の最終ランナーについて」の解説
聖火の最終ランナーが坂井義則に選出された理由は、広島への原爆投下の日の1945年(昭和20年)8月6日に広島県三次市で生まれたこと、陸上競技選手であることから、その平和の象徴とされたからである。 オリンピック・リポーターとして新聞特派員記者を担当した作家の三島由紀夫は、聖火台に向かう坂井を「日本の青春の簡素なさはやかさ」が結晶した姿と表現し、以下のようにレポートした。 彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みづみづしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によつて代表されたのだつた。(中略)坂井君は緑の階段を昇りきり、聖火台のかたはらに立つて、聖火の右手を高く掲げた。その時の彼の表情には、人間がすべての人間の上に立たなければならぬときに、仕方なしに浮べる微笑が浮んでゐるやうに思はれた。そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもつと高いのだ。(中略)彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思ふが、かういふ感情は誇張せずに、そのままそつとしておけばいいことだ。日の丸のその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。 — 三島由紀夫「東洋と西洋を結ぶ火――開会式」
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