聖地巡礼まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 18:39 UTC 版)
「ラッバーン・バール・サウマ」の記事における「聖地巡礼まで」の解説
サウマは聖職者より景教の教義を学び、20歳(もしくは23歳)のときに出家僧となる。大都の大主教マール・ゲオルギウスから剃髪式を受けた後、7年の間独房に籠り、さらにその後に房山県の洞窟に移り住んだ。人里離れた洞窟で信仰に身を奉げるサウマの評価は各地に広がり、名声を聞き及んだ人々は洞窟に集まって彼の説法に耳を傾けた。後にサウマは洞窟を訪れたオングトの青年マルコスを弟子にとり、マルコスと共に禁欲的な宗教生活を送った。 やがてマルコスはエルサレムへの巡礼を熱望するようになる。最初サウマはマルコスに道中の苦難を諭して巡礼を諦めさせようとしたが、ついに熱意にほだされて聖地巡礼を決意し、サウマはマルコスと共にエルサレムへの巡礼に出立する。 1275年から1277年ごろの間に2人はマルコスの故郷である東城(現在のフフホト市)に着き、オングト王家のクン・ブカとアイ・ブカの歓待を受けた。2人はクン・ブカとアイ・ブカから乗馬と路銀を受け取り、東城の景教徒に見送られながら西方に旅立った。サウマとマルコスの巡礼はクビライの知るところでもあり、2人はクビライから勅令(ジャルリグ)と通行証であるパイザが与えられたと考えられている。
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