美濃土田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 07:50 UTC 版)
美濃土田氏は、征東大将軍・木曾義仲の四天王と謳われた根井行親の末裔と伝わる。 根井行親の子孫は、南近江守護・六角氏の家臣として仕え文明年間(1469年〜1486年)の頃に、近江国蒲生郡から美濃国可児郡の木曽川河畔にある土田村に移住した。 土田山の山麓にある渡り田の大井戸渡しを支配して屋敷を築き、土田村の他にも田畑を開墾して領地を増やしていき土田姓を名乗り土豪となる。 後に、土田秀定は明智氏の娘婿となり、明智氏の家臣として美濃国可児郡土田村の所領を安堵され、更に勢力を拡げていき文明・明応年間(1469年〜1501年)に土田城を築く。 尾張国海東郡土田郷(清洲近辺)に起こった尾張土田氏は『つちだ』と読むが、美濃土田氏は『どた』と読むので同族ではなく別流の一族と云われる。後に美濃土田氏・尾張土田氏は、共に織田氏(織田弾正忠家)に仕えるが、両氏が縁戚関係を結んだかは不明。 織田信秀の正室(継室)である土田御前は、美濃土田氏の土田政久(生駒親重)の娘と云われている。
※この「美濃土田氏」の解説は、「土田秀久」の解説の一部です。
「美濃土田氏」を含む「土田秀久」の記事については、「土田秀久」の概要を参照ください。
- 美濃土田氏のページへのリンク