美容家となるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 02:15 UTC 版)
東京市芝区(後の東京都港区)で、二男二女の兄弟姉妹の次女、三子として誕生した。誕生日の1月11日にちなんで「一十一」と命名された。 小学校卒業までを栃木県小山町(後の小山市)で過ごした後、東京高等女学校、日本女子大学教育学部一部へ進学した。卒業時には建築家としてアメリカに渡る機会を得たが、アメリカ帰りの弟を病気で失った父がこれに強く反対し、挫折した。 1918年(大正7年)に、神奈川県鎌倉町(後の鎌倉市)の鶴岡八幡宮近隣の薬屋「中庸屋」に嫁いだ。薬屋では、店の中心として働いた。女子大時代に習得した化学の知識をいかして、調剤もこなした。その働きぶりが評判を呼び、店は大繁盛した。しかし1923年(大正12年)、関東大震災で店が倒壊し、借家のために店の再建も困難であった。
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