絹衣相論とは? わかりやすく解説

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絹衣相論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 17:05 UTC 版)

絹衣相論(きぬころもそうろん)とは、戦国時代に発生した常陸国水戸地域における真言宗僧侶門徒の絹衣着用を巡る天台宗と真言宗の相論。


  1. ^ 天文24年7月16日付「後奈良天皇綸旨写」(『吉田薬王院文書』)
  2. ^ 天正の相論当時、織田信長の比叡山焼き討ちによって本寺である延暦寺は機能しておらず、三千院(梶井御所)や青蓮院が天台宗を代表していた。また、天正2年正月に天台座主である覚恕法親王が死去してから天台座主は空席であり、そのため、元亀元年(1570年)まで座主の地位にあった前任者の法胤法親王がその職務を代行したとも考えられる。いずれにしても、当時の天台宗は纏った行動を取れる状況にはなかった。
  3. ^ 天正2年7月9日付「正親町天皇綸旨写」(『大日本史料』第十編之二十三所収「実相院文書」)
  4. ^ 金子論文によれば、この再度の訴訟には典侍万里小路房子の弟にあたる上乗院道順が中心にいた。
  5. ^ 金子拓『織田信長権力論』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-02925-4 第三部第一章「天正二年~五年の絹衣相論の再検討」『織田信長権力論』 P265-269.
  6. ^ a b 「願泉寺文書」所収
  7. ^ 公卿補任』など
  8. ^ 堀新「織田信長と絹衣相論-関連資料の整理と検討―」(『共立女子大学文芸学部紀要』51集(2005年))
  9. ^ 神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第二章「絹衣相論とその裁決」
  10. ^ 金子拓『織田信長権力論』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-02925-4 第三部第一章「天正二年~五年の絹衣相論の再検討」『織田信長権力論』 P270-271.
  11. ^ 「正親町天皇綸旨写」(『輪王寺文書』101号)
  12. ^ 「正親町天皇綸旨写」(『願泉寺文書』)
  13. ^ 「織田信長判物案」(『輪王寺文書』111号)
  14. ^ 金子拓『織田信長権力論』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-02925-4 第三部第一章「天正二年~五年の絹衣相論の再検討」『織田信長権力論』 P278.


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