経営の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 06:12 UTC 版)
明治15年(1882年)4月6日、長男の金蔵が誕生する。鹿鳴館時代になり、洋服を着用する人が増え、また競馬が流行し始めたことに着目した雲平は、明治20年(1887年)ごろから、革靴と馬具の製造に取り組んだ。明治20年(1887年)10月19日、次男の泰蔵が誕生する。明治27年(1894年)4月27日、三男の恒輔が誕生する。 明治27年(1894年)にドイツ製の青貝印ミシンを業界で初めて導入し、足袋の製造工程を機械化した。雲平がこの頃から掲げていた「精品主義」は、現在のムーンスターの靴づくりに受け継がれている。革靴と馬具の売上げは足袋と同様、好調に推移したが、明治28年(1895年)、「足袋以外のものの製造を続けるべきではない」との旨の金蔵の発言を受けて、足袋の製造を専業とすることに決める。 明治30年(1897年)、ボストン機と呼ばれる革靴用の裁断機を購入し、足袋底の裁断に使用した。明治32年(1899年)、技術力を高めることを目的として、職工の養成所を設立する。養成所の出身者を自社の工場で雇用した。
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