系譜・歴代当主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 20:35 UTC 版)
藤原基経 – 摂政・関白 藤原仲平 – 左大臣 津野経高(つねたか) – 蔵人頭、称・津野姓 津野経義(つねよし) 津野国高(くにたか) 津野高行(たかゆき) 津野高統(たかむね) 津野頼高(よりたか) 津野繁高(しげたか) – 土佐守護・細川繁氏より偏諱を賜う。 津野浄高(きよたか) 津野元高(もとたか) 津野春高(はるたか) 津野満高(みつたか) 津野満之(みつゆき) 津野之勝(ゆきかつ) 津野通重(みちしげ) – 之勝の子・泰高(やすたか)の弟とされるが、「通」の字から伊予河野氏の出身の可能性が高い。「河野通重」としても伝わる。 津野之高(ゆきたか、応永25年(1418年) – 文明11年(1479年)) – 伊予河野氏の出身で通重の養子(通重が河野氏出身の場合はその実子)とされる。一説に春高の子または養子とも。土佐守護・細川持之より偏諱を賜う。 津野元藤(もとふじ) – 土佐守護・細川勝元より偏諱を賜う。父・之高より嫡子に指名されるが、これを不服とした兄・常高(つねたか、常定とも)と対立。のち和睦して常高の系統(常高 – 元房 – 元忠 – – – )は中平氏を称した。 津野元勝(もとかつ) – 土佐守護・細川政元より偏諱を賜う。(※ 元藤と元実の間に元勝を入れないとする説(系図)もある。) 津野元実(もとざね、文明14年(1482年) – 永正14年(1517年)) – 土佐守護・細川政元より偏諱を賜う。永正14年(永正14年(1517年))、土佐一条氏の家臣・福井玄蕃を攻めるが、一条氏による援軍に敗れ戦死。中平元忠(兵庫助) – 元藤の兄・常高の孫。元実亡き後、その遺子・国泰を当主に立てるも幼少であったため、成長までその代理的存在として活躍。のち基高とともに土佐一条氏に降伏。 津野国泰(くにやす) – 土佐守護・細川高国より偏諱を賜う。 津野基高(もとたか、文亀3年(1503年) – 天文22年(1553年)) – 元実の実弟・山内摂津守(実名不詳)の子(国泰の従弟にあたる)。土佐一条房基より偏諱を賜うが、のちに謀反を起こして房基に敗れ降伏。 津野定勝(さだかつ) – 名は定雄(読み同じ)とも。土佐一条兼定より偏諱を賜う。長宗我部元親より降伏の勧告を受けるも拒否し、長宗我部氏への恭順を決意した家臣たちによって伊予へ追放される。 津野勝興(かつおき、? – 天正6年(1578年))- 父の姿勢を継いで長宗我部元親に対抗するが、のちに降伏。 津野親忠(ちかただ) – 長宗我部元親の三男で勝興の養子となる。
※この「系譜・歴代当主」の解説は、「津野氏」の解説の一部です。
「系譜・歴代当主」を含む「津野氏」の記事については、「津野氏」の概要を参照ください。
- 系譜歴代当主のページへのリンク