粗食としての麦飯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:37 UTC 版)
麦飯は、かつては米より食味で劣り、かつ安価で流通していたため、粗食であり、貧民の食物という社会的な観念があった。そのため吉田茂内閣の池田勇人大蔵大臣の答弁(「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副(そ)った方へ持って行きたいというのが、私の念願」)が「貧乏人は麦を食え」の見出しで新聞に掲載され、物議を醸した。しかしその優れた栄養価から、徳川家康や昭和天皇は麦飯を主食とした。 日本の刑務所では、近代の懲役刑の導入とともに麦飯が導入され、米:麦=7:3の比率のものが標準とされている。俗に刑務所の食事を「臭い飯」と呼ぶが、これはかつては刑務所の食事が低予算の関係から非常に質が悪く、また終戦後など食料事情の悪い時代には南京米の、本当に臭気のする飯が服役者に出されていたことによる。
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