米軍との共闘と裏切り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 10:01 UTC 版)
「フクバラハップ」の記事における「米軍との共闘と裏切り」の解説
一方、太平洋戦争において当初は劣勢であった米軍も、1944年10月20日のレイテ島上陸を皮切りに猛烈な勢いでフィリピン再占領を進め、1945年2月に首都マニラを奪還、同月27日にコモンウェルス政府を復活させ、ここにフィリピン奪還に成功した。この際に抗日ゲリラ組織は重要な役割を果たしたが、その中心にはフクバラハップがあった。米軍とフクバラハップとの間には、かつて米極東軍ユサッフェ・ゲリラと地下で連絡を取り合って対日協力がなされ、対日作戦において両者には役割分担がなされるなど、極めて緊密な関係があった。 ところがアメリカは、「米軍によるフィリピン解放」の既成事実を作り戦後の米軍の権益を確保するため、また抗日ゲリラ活動に農地改革活動を結合していたフクバラハップの共産主義的性格を恐れたため、フクバラハップの武装解除および幹部の逮捕など、最終的にはフクバラハップの活動への弾圧を行った。この弾圧は、後の冷戦期に至るまで続くこととなった。
※この「米軍との共闘と裏切り」の解説は、「フクバラハップ」の解説の一部です。
「米軍との共闘と裏切り」を含む「フクバラハップ」の記事については、「フクバラハップ」の概要を参照ください。
- 米軍との共闘と裏切りのページへのリンク