米西戦争終結
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「フィリピンの歴史 (1898年-1946年)」の記事における「米西戦争終結」の解説
詳細は「パリ条約 (1898年)」を参照 スペインとの平和交渉に着手したアメリカの使節団の当初の指示は、港や通信連携として使えるルソン島とグアムを求めることだけであった一方で、マッキンリー大統領は後にフィリピン群島全部を要求するよう電報を発した。1898年12月に調印された最終的なパリ条約は、正式に米西戦争を終結させた。その条項には2000万ドルが賠償金として支払われてフィリピン群島のアメリカ合衆国への譲渡があった。この合意はパリ条約で示した地理的な境界の外側にあるスペイン領もアメリカ合衆国に割譲されるとする1900年のワシントン条約(英語版)を通じて明らかになった。 1898年12月21日、マッキンリー大統領はフィリピンに関して好意的な融合(英語版)政策を宣言した。この政策は1899年1月4日にフィリピンで発表された。この政策に基づき侵略者というよりは友人であると自身を宣言するよう指示するアメリカ軍と共にフィリピンはアメリカ合衆国の主権の下に置かれることになった。
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