米西戦争とその後の人生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 02:21 UTC 版)
「ネルソン・マイルズ」の記事における「米西戦争とその後の人生」の解説
1894年、マイルズはプルマン・ストライキの暴徒を鎮圧するために動員された部隊を指揮した。1895年にはアメリカ陸軍総司令官に指名され、米西戦争の間その職にあった。マイルズはシボニーなどキューバの各地で部隊を指揮した。サンティアーゴ・デ・クーバでのスペイン降伏後、プエルトリコ方面作戦と今日呼ばれるものでグアニカに上陸しプエルトリコ侵入部隊を自ら率いた。前線で支給されていた牛肉の品質が極めて劣悪だと明らかになった時、マイルズは公聴会でこの問題を取り上げた(アメリカ陸軍牛肉疑獄)。牛肉調達に関するスキャンダルは世論を騒がし、ラッセル・アレクサンダー・アルジャー陸軍長官解任の遠因となった。 マイルズはプエルトリコに設立された軍政府の初代長官となり、占領軍と民事管理の両方の長となった。1900年に米西戦争の功績で中将に昇進した。セオドア・ルーズベルト大統領からは「勇敢な孔雀」と呼ばれたマイルズは1903年に定年に達して退役した。その退役のときに、連邦議会がアメリカ陸軍総司令官の地位を廃止し、陸軍参謀総長が導入された。 マイルズは南北戦争、インディアン戦争および米西戦争で指揮官として従軍した。70代後半の時に第一次世界大戦での従軍も志願したが、ウッドロウ・ウィルソン大統領がその年齢を理由に断った。 マイルズは1925年5月15日、85歳で心臓発作で死んだ。アーリントン国立墓地のマイルズ廟に埋葬された。この墓地の中にある2つしかない廟の1つである。
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