米国およびフランスの報復攻撃とは? わかりやすく解説

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米国およびフランスの報復攻撃(1863年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「米国およびフランスの報復攻撃(1863年)」の解説

この時期アメリカ南北戦争最中で、蒸気スループワイオミングは南軍襲撃艦アラバマ追跡のためにアジア派遣されていたが、アメリカ公使ロバート・プルイン要請受けて横浜入港していた。アメリカ商船ベンプローク号が攻撃受けたことを知らされたデービット・マックドガール艦長はただちに報復攻撃決意して横浜出港した7月16日6月1日)、ワイオミング下関海峡入ったワイオミング号は砲台射程外を航行し下関港内に停泊する長州藩軍艦壬戌丸庚申丸撃沈し癸亥丸大破させた。ワイオミング号は報復戦果をあげたとして海峡瀬戸内海出て横浜帰還した7月20日6月5日)、フランス東洋艦隊バンジャマン・ジョレス准将率いセミラミスタンクレード報復攻撃のため海峡入ったセミラミス前田壇ノ浦砲台に猛砲撃加えて沈黙させ、陸戦隊降ろして砲台占拠した長州藩兵は抵抗するが敵わず、フランス兵民家焼き払い、砲を破壊した長州藩救援部隊を送るが軍艦からの砲撃阻まれその間陸戦隊撤収しフランス艦隊横浜帰還した艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲米国 ワイオミングWyoming 蒸気スクリュースループ 1859年 排水量1457英トン 198 不明 11インチダールグレン砲x260ポンドパロット砲x132ポンド砲x3 フランス セミラミスSemiramis 蒸気スクリューフリゲート 1863年改造 排水量3830トン 521 1664IHP 35 タンクレードTancrede 蒸気スクリュースループ 1861年 排水量500トン程度 不明 不明 4

※この「米国およびフランスの報復攻撃(1863年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
「米国およびフランスの報復攻撃(1863年)」を含む「幕末の砲艦外交」の記事については、「幕末の砲艦外交」の概要を参照ください。

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