米国およびフランスの報復攻撃(1863年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「米国およびフランスの報復攻撃(1863年)」の解説
この時期のアメリカは南北戦争の最中で、蒸気スループワイオミングは南軍の襲撃艦アラバマの追跡のためにアジアに派遣されていたが、アメリカ公使ロバート・プルインの要請を受けて横浜に入港していた。アメリカ商船ベンプローク号が攻撃を受けたことを知らされたデービット・マックドガール艦長はただちに報復攻撃を決意して横浜を出港した。7月16日(6月1日)、ワイオミングは下関海峡に入った。ワイオミング号は砲台の射程外を航行し、下関港内に停泊する長州藩の軍艦の壬戌丸、庚申丸を撃沈し、癸亥丸を大破させた。ワイオミング号は報復の戦果をあげたとして海峡を瀬戸内海へ出て横浜へ帰還した。 7月20日(6月5日)、フランス東洋艦隊のバンジャマン・ジョレス准将率いるセミラミスとタンクレードが報復攻撃のため海峡に入った。セミラミスは前田、壇ノ浦の砲台に猛砲撃を加えて沈黙させ、陸戦隊を降ろして砲台を占拠した。長州藩兵は抵抗するが敵わず、フランス兵は民家を焼き払い、砲を破壊した。長州藩は救援の部隊を送るが軍艦からの砲撃に阻まれ、その間に陸戦隊は撤収し、フランス艦隊も横浜へ帰還した。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲米国 ワイオミングWyoming 蒸気スクリュースループ 1859年 排水量1457英トン 198 不明 11インチダールグレン砲x260ポンドパロット砲x132ポンド砲x3 フランス セミラミスSemiramis 蒸気スクリューフリゲート 1863年改造 排水量3830トン 521 1664IHP 35 タンクレードTancrede 蒸気スクリュースループ 1861年 排水量500トン程度 不明 不明 4
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