筒井町天王祭の山車
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「筒井町出来町天王祭」の記事における「筒井町天王祭の山車」の解説
神皇車・筒井町内にて(2012年6月) 宵の部の神皇車(2018年6月) 神皇車(じんこうしゃ) 維持管理 - 筒井町神皇車保存会 江戸時代後期の1824年(文政7年)に那古野神社天王祭の見舞車として作られたものを1887年(明治20年)に当時の筒井町(2013年現在の筒井一丁目)が購入したものである。神功皇后車の名で呼ばれていた時期もあった。屋根部分が朱色、水引幕が白、大幕が青と色彩が鮮やかな山車である。大幕正面には「筒井町」の町名が入る。 神皇車のからくりは、人形が山車の名の由来ともなった神功皇后人形・武内宿禰人形・面かぶり巫女人形・采振り人形の4体であり、神功皇后が戦に臨まれる際に現れた龍神が金玉を海上に投げ、波が静まったという故事に基づいた内容を演じるものである。巫女人形が鬼面を被り龍神に早変わりする様が見ものである。 1973年(昭和48年)に、神皇車は名古屋市の有形民俗文化財に指定された。 湯取車・筒井町内にて(2012年6月) 転回中の湯取車(2013年6月) 湯取車(ゆとりぐるま) 維持管理 - 湯取車保存会 江戸時代前期の1658年(万治元年)に名古屋東照宮の東照祭の山車として作られたものが1831年(天保2年)に当時の情妙寺前(2013年現在の筒井町4丁目)へ譲られたもので、名古屋に2012年時点で現存する山車で最も古い歴史を持っている。金箔塗りの鏡天井の屋根、彫刻が見事な高欄がある。また水引幕は昼と宵で異なるものを用いる。大幕正面には「筒井町」の町名が入る。 元々は湯取神子車(ゆとりかみこぐるま)という名であったが、西区比良地区に同名の山車があるため、市の有形民俗文化財指定に際して現在の名に改名したとされている。 湯取車のからくりは、人形が安倍晴明人形・巫女人形・太鼓人形・笛人形の4体であり、巫女による湯取り神事が演じられる。湯立を行う巫女が釜の中をかきまわすと、「湯の花」と呼ばれる白紙の紙吹雪が釜から吹き上がるシーンが見ものである。 1973年(昭和48年)に、湯取車は名古屋市の有形民俗文化財に指定された。
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