第36回東京優駿での珍事とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第36回東京優駿での珍事の意味・解説 

第36回東京優駿での珍事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 07:01 UTC 版)

ダイシンボルガード」の記事における「第36回東京優駿での珍事」の解説

ダイシンボルガード勝った東京優駿は以下のエピソードで有名である。 1969年5月25日東京競馬場行われた第36回東京優駿不良馬場のなか28頭立て行われた皐月賞優勝馬ワイルドモア骨折により出走回避したため混戦模様となり、単勝1番人気はタカツバキ2番人気皐月賞2着馬ギヤロツプ、3番人気朝日杯3歳ステークス優勝馬ミノルで、ダイシンボルガードは6番人であった。 このレース事故珍事重なった。まずスタート直後に1番人気のタカツバキ転倒して騎手嶋田功落馬し競走中止となった。さらにゴール前の直線ではハクエイホウダイシンボルガードミノル追い、3頭での激し叩き合いとなったが、ダイシンボルガード担当厩務員石田健一が「俺の馬だ」と叫びながら係員制止振り切ってレース中のコース乱入する騒ぎ起こった競走中の同馬と旗を振る石田一緒に写った写真残っている)。結局ダイシンボルガードミノルクビ差で勝利した石田行動対し観客席からは拍手起き競馬マスコミ好意的であったが、レース石田厳重注意処分実際に戒告であった)を受け、この件は公式記録制裁にも記載された。 騎手務めた大崎昭一はこのとき24歳で、当時としては戦後最年少ダービージョッキーとなった(現在は1971年ヒカルイマイ東京優駿制した田島良保騎手23歳に次ぐ記録)。またレース後には競馬ファンの手により胴上げされたが、レース後に胴上げされたのは大崎が初である。

※この「第36回東京優駿での珍事」の解説は、「ダイシンボルガード」の解説の一部です。
「第36回東京優駿での珍事」を含む「ダイシンボルガード」の記事については、「ダイシンボルガード」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第36回東京優駿での珍事」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から第36回東京優駿での珍事を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から第36回東京優駿での珍事を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から第36回東京優駿での珍事を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

第36回東京優駿での珍事のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第36回東京優駿での珍事のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダイシンボルガード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS