第1番作曲の背景
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わずか19歳(1925年)で『交響曲第1番 ヘ短調』(作品10)を発表し、音楽界に鮮烈なデビューを果たしたショスタコーヴィチだが、弦楽四重奏曲の発表は遅く、最初の作品である本作が発表されたのは1938年、作曲者が32歳のときであり、この天才作曲家が手がけた最も遅いジャンルである。なお、1931年にはオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(作品29)、バレエ『黄金時代』(作品22)の音楽を弦楽四重奏曲に編曲するということを行っており、このジャンルへの取り組みの慎重さが現れている。 1936年に受けたソ連共産党機関紙「プラウダ」からの批判(プラウダ批判)を、1937年に『交響曲第5番 ニ短調』(作品47)を発表することによりようやく挽回したショスタコーヴィチだが、受けた精神的痛手はよほど大きかったらしく、多作家のショスタコーヴィチにしては珍しく、『交響曲第5番』の作曲後は数ヶ月ほど作曲活動を休止している。本作はそうした経緯を経て、1938年の夏にようやく作曲された。 初演は1938年10月10日にグラズノフ弦楽四重奏団によりレニングラードで行われ、同年11月16日にはベートーヴェン弦楽四重奏団(英語版)によってモスクワ初演も行われた。特に、ベートーヴェン弦楽四重奏団とはこの初演以降、生涯に渡って親交を深め、第2番から第14番までの作品の初演を行っているほか、同弦楽四重奏団に捧げられた作品も多い。
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