第1から第5の哨戒・大西洋での作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:34 UTC 版)
「ヘリング (潜水艦)」の記事における「第1から第5の哨戒・大西洋での作戦」の解説
10月21日、ヘリングは最初の哨戒で地中海に向かった。北アフリカ沿岸のステーションでトーチ作戦に先立っての任務に従事。ヘリングは11月5日にカサブランカに到着し、侵攻作戦は11月8日の朝に始まった。その日、ヘリングは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度34分 西経07度52分 / 北緯33.567度 西経7.867度 / 33.567; -7.867のカサブランカ近海で、ヴィシー・フランスの輸送船 Ville du Havre を発見し、魚雷を4本発射して2本命中させ撃破した。その後、マデイラ諸島方面に移動し哨戒を続けた。11月25日、ヘリングは35日間の行動を終えてスコットランドのロスネース(英語版)に帰投した。 12月16日、ヘリングは2回目の哨戒でビスケー湾方面に向かった。しかし、ビスケー湾では思いのほか接触が少なく、中立国スペインの船舶の他は、フランス沿岸に基地を持つUボートのための支援船1隻を見たのみであった。1943年2月12日、ヘリングは58日間の行動を終えてロスネースに帰投。艦長がジョン・コーブス少佐(アナポリス1930 年組)に代わった。 3月6日、ヘリングは3回目の哨戒でビスケー湾方面に向かった。この哨戒でも、漁船には多数接触したが、肝心の敵には、3月21日に北緯44度13分 西経08度23分 / 北緯44.217度 西経8.383度 / 44.217; -8.383の地点で、Uボートらしい物体に魚雷を2本発射して命中を報告した時以外はほとんど接触しなかった。4月12日、ヘリングは37日間の行動を終えてロスネースに帰投。ジョンソン少佐が艦長に復帰した。 5月4日、ヘリングは4回目の哨戒でアイスランド近海に向かった。この海域を突破しようとするUボートに対する哨戒任務に就いたが、Uボートはおろか、その他の敵艦船すら見なかった。6月9日、ヘリングは35日間の行動を終えてロスネースに帰投した。この後、本国への帰途のついでに5回目の哨戒を行った。7月26日、ヘリングは19日間の行動を終えてニューロンドンに帰投。整備後、8月9日にニューロンドンを出港。サンフランシスコのハンターズ・ポイント海軍造船所でのオーバーホールの後、11月2日に真珠湾に到着した。
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