第二次伊賀侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/16 09:34 UTC 版)
「天正伊賀の乱#第二次天正伊賀の乱」も参照 織田信長は石山本願寺との講和が成立すると、かつて自身の息子の北畠信意に苦汁を舐めさせた伊賀衆の平定に乗り出した。その時、伊賀衆の耳須弥次郎、福地宗隆が裏切って伊賀攻略の際は案内役を務めると申し出てきた。そして天正9年(1581年)、安土城に北畠信意、織田信澄、滝川一益、丹羽長秀、蒲生氏郷、筒井順慶・定次父子(養子関係)、脇坂安治、浅野長政、堀秀政、滝川雄利、不破光治らを集めて信意を総大将に任命。今度は自らが安土城から指揮することにした。間もなく集まった45,000人の兵で織田軍は出発。四方八方から伊賀に侵攻した(『信長公記』)。
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