第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)
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「端島 (長崎県)」の記事における「第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)」の解説
1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となる。譲渡後は第二竪坑と第三竪坑の開鑿もあって端島炭鉱の出炭量は高島炭鉱を抜くまでに成長した(1897年)。この頃には社船「夕顔丸」の就航、製塩・蒸留水機設置にともなう飲料水供給開始(1891年。1935年に廃止)、社立の尋常小学校の設立(1893年)など基本的な居住環境が整備されるとともに、島の周囲が段階的に埋め立てられた(1897年から1931年)。 1890年代には隣の高島炭鉱における納屋制度が社会問題となっていたが、端島炭坑でも同様の制度が敷かれていた。高島同様、端島でも労働争議がたびたび起こった。納屋制度期における軍艦島の生活は以下の通り。端島における納屋制度の廃止は高島よりも遅かったが、段階的に廃止され、全ての労働者は三菱の直轄となった。 三菱端島労働状況(1907(M40)3〜8月ごろ) 日本労務管理年誌・労務管理資料編纂会 S37〜S39 坑夫募集人は応募者1人に付3円ずつの手数料を得る。炭坑を楽園のごとく吹聴し、世人を欺瞞。 坑夫は何れも故郷忘れがたく、募集人の舌端に欺されたるを悔いている。 会社は淫売婦を雇い随所に淫売店を開業させ更に賭博を奨励。 坑夫はあわれこの陥穽に陥入り、前借の弱身に自由を縛し去られている。
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