第二期・納屋制度期とは? わかりやすく解説

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第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 19:43 UTC 版)

端島 (長崎県)」の記事における「第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)」の解説

1890年明治23年)、端島炭鉱所有者であった鍋島孫太郎鍋島六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社10万円で譲渡端島その後100年以上にわたり三菱私有地となる。譲渡後第二竪坑第三竪坑開鑿もあって端島炭鉱出炭量は高島炭鉱を抜くまでに成長した1897年)。この頃には社船「夕顔丸」の就航製塩蒸留水設置にともなう飲料水供給開始1891年1935年廃止)、社立の尋常小学校設立1893年)など基本的な居住環境整備されるとともに、島の周囲段階的に埋め立てられた(1897年から1931年)。 1890年代には隣の高島炭鉱における納屋制度社会問題となっていたが、端島炭坑でも同様の制度敷かれていた。高島同様、端島でも労働争議がたびたび起こった納屋制度期における軍艦島の生活は以下の通り端島における納屋制度廃止高島よりも遅かったが、段階的に廃止され全ての労働者三菱直轄となった三菱端島労働状況(1907(M40)3〜8月ごろ) 日本労務管理年誌・労務管理資料編纂会 S37〜S39 坑夫募集人は応募1人に付3円ずつの手数料を得る。炭坑楽園のごとく吹聴し世人欺瞞坑夫何れも故郷忘れがたく、募集人の舌端に欺されたるを悔いている。 会社淫売婦雇い随所淫売店を開業させ更に賭博奨励坑夫はあわれこの陥穽陥入り、前借の弱身に自由を縛し去られている。

※この「第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)」の解説は、「端島 (長崎県)」の解説の一部です。
「第二期・納屋制度期(1890 - 1914年)」を含む「端島 (長崎県)」の記事については、「端島 (長崎県)」の概要を参照ください。

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