第二書記へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 20:33 UTC 版)
「エゴール・リガチョフ」の記事における「第二書記へ」の解説
共産党官僚(アパラチキ)としては、ニキータ・フルシチョフによる非スターリン化に伴い台頭した世代にあたる。1953年ノヴォシビルスク州文化部長。1955年ノヴォシビルスク州執行委員会副議長。1961年から1965年まで、党中央委員会勤務となり、宣伝部副部長などを歴任する中で、ユーリ・アンドロポフの知遇を得たとされる。レオニード・ブレジネフ時代の1965年にシベリアのトムスク州党第一書記、翌1966年党中央委員候補を経て、1976年党中央委員となる。1983年アンドロポフ書記長によってソ連共産党中央委員会書記(党組織担当)に任命される。1985年3月、コンスタンティン・チェルネンコ書記長の死去に伴う後継書記長選出に当たっては、ゴルバチョフを支持。4月政治局員となり、イデオロギー担当書記、最高会議連邦会議外交委員長となり、ゴルバチョフ政権の「第二書記」となる。
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