第三期:田中伝三郎時代 大正14年(1925)~昭和5年(1930)
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大正14年(1925)に弥左衛門が病没し、中村家三男の伝三郎(田中家婿養子となり田中姓)が引継ぐ。伝三郎は、既に弥左衛門の片腕として便利堂の事業に関わっていた。伝三郎は昭和5年に病没するので、中村四兄弟の中で活躍時期は一番短いが、その功績は原色版印刷部の創設である。原色版印刷の発展に伴う、印刷物カラー化のニーズに対応することが急務であると伝三郎は考えていたが、便利堂の考える品質の高い技術力を持つ原色版印刷工場を運営するために必要である、有能な技術者を見つけられず難航していた。そんな折、実弟の中村竹四郎を介して、辻本写真工芸社の高級原色版部門併合の協議が成立、佐藤浜次郎ら優秀な技師が移籍して、昭和2年(1927)に原色版印刷所が開設された。これによりカラー印刷も可能となり、コロタイプと原色版による「美術印刷の便利堂」の基礎が確立された。
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