第三の新人の登場
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1952年秋、山本健吉は「文學界」1953年1月号に評論「第三の新人」を発表し、当時純文学を書いていた安岡・吉行ら同世代の作家を総称して「第三の新人」と呼称した。安岡・吉行に続き庄野潤三・遠藤周作らが次々と芥川賞を受賞し、文壇の中でも「第三の新人」を一つの勢力と見られるようになった。なお、呼称の由来は映画「第三の男」から思いついたといわれている。 「第三の新人」は「文學界」の編集者により提唱され、山本健吉が取り入れた概念であるとはいえ、「第三の新人」に含まれる個々の作風にも一貫した厳密な定義があるわけではなかった。しかし、概して私小説的な作品が多く、非政治的で小さくまとまった傾向があると指摘され、しばしば非難の対象になった。後に、戦後文学史上の用語として定着した。
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