笠原水道
笠原水道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/28 17:33 UTC 版)
水戸の城下町では、上市・下市のどちらも飲料水が不足していた。1662年(寛文2年)、水戸藩二代目藩主徳川光圀は、低湿地のため飲料水に欠く下市住民のため、奉行の望月五郎左衛門に水道事業の立案を命じた。命令を受けた望月は数理・地理に秀でた平賀保秀に設計させ、勘衛門とその子供達が実際の敷設を担当し、述べ25,000人の労力と約550両の資金をつぎ込んで1663年(寛文3年)7月に笠原水道を完成させた。日本国で第18番目となる水道であった。笠原水道は笠原不動谷を水源とし、約10キロメートル導水して下市に給水した。他藩の水道は明渠であったが、笠原水道では暗渠を採用した点に特色がある。
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