松富久亭松竹
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松富久亭/笑福亭 松竹(しょうふくてい しょちく)は、上方落語の名跡。笑福亭一門の祖である。四代目の死後は、空き名跡となっている。初代のみ「松富久亭」で、二代目以降から「笑福亭」となるが、便宜上この項で一括して扱う。また、読み方違いの同字の名前「

大阪では母音を省略するのが一般的で、この松竹も「しょうちく」ではなく「しょちく」と読むのが正式な読み方である。
- 初代松富久亭松竹 - (生没年・詳細不明)笑福亭の祖。『千両蜜柑』『松竹梅』『初天神』『猫の忠信』『立ち切れ線香』などの作者と伝える。初代桂文枝門下から、分家していった。安政年間には、門下に初代笑福亭吾竹、初代笑福亭松鶴が登場しており、共に亭号を「松富久亭」から「笑福亭」に改めた。
- 二代目笑福亭松竹 - 後:二世曽呂利新左衛門
- 三代目笑福亭松竹 - 後:笑福亭松翁
- 四代目笑福亭松竹 - 本項にて記述
- 笑福亭
松竹 (1951年7月11日 - ) - 大阪府立三国丘高等学校卒業後の1974年3月、六代目笑福亭松鶴に入門、「松竹 」を名乗る。なお、「まったけ」と読むため、代数に数えることはない。梅田のトップホットシアター寄席にて初舞台。しかし、1978年3月には廃業した。廃業後も他の弟子と僅かながら交流があり、2011年に弟弟子の笑福亭小つるが六代目笑福亭枝鶴を襲名した際には、大師匠にあたる五代目笑福亭松鶴編集の「上方はなし」をプレゼントしに楽屋にやってきている。本名:中埜 浩三。
四代目
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本名 | 瀬尾 伝治郎 |
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生年月日 | 1892年 |
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | ![]() |
師匠 | 笑福亭松翁 |
名跡 | 1. 初代笑福亭鶴光 (? - 1930年) 2. 四代目笑福亭松竹 (1930年 - 1950年代頃) |
活動内容 | 上方落語 |
所属 | 吉本興業 |
四代目 笑福亭松竹(1892年 - 没年不詳・昭和中期)は、本名:瀬尾 伝治郎(昌平の諸説あり)。享年不詳。
経歴
四代目笑福亭松鶴の門下で、「初代笑福亭鶴光」を名乗る。後に所属の吉本興業を離れ、地道に活動を続ける。1930年に「四代目笑福亭松竹」を襲名。その後はラジオに時々出演するのみで、活動実態はほとんどなかった模様である。
五代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」が始まると、真っ先に参加した。戦時中は木炭商を営む一方、慰問団の結成や、陸軍病院の巡回などの活動により、表彰されている。
戦後も、1950年頃までは特別な会に時々出ては、珍しいネタ『十日戎』『大和橋』などをやっていたという。特に『宿屋仇』を得意としていた。
出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
- 日本の話芸 上方落語・江戸落語
- 古今東西噺家紳士録(CD-ROM)
関連項目
笑福亭松竹(まったけ)
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「松富久亭松竹」の記事における「笑福亭松竹(まったけ)」の解説
6代目笑福亭松鶴の門下。松竹は「まったけ」と読む。そのため代数に数えることはない。本名: 中埜浩三。 1951年7月11日生まれ、大阪府立三国丘高等学校卒業。1974年3月に入門、梅田のトップホットシアター寄席にて初舞台。しかし1978年3月には廃業した。 廃業後も他の弟子と僅かながら交流があり、2011年に笑福亭小つるが6代目笑福亭枝鶴を襲名した際には、大師匠にあたる5代目松鶴編集の「上方はなし」をプレゼントしに楽屋にやってきている。
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