笑福亭松竹とは? わかりやすく解説

松富久亭松竹

(笑福亭松竹 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 07:51 UTC 版)

松富久亭/笑福亭 松竹(しょうふくてい しょちく)は、上方落語名跡笑福亭一門の祖である。四代目の死後は、空き名跡となっている。初代のみ「松富久亭」で、二代目以降から「笑福亭」となるが、便宜上この項で一括して扱う。また、読み方違いの同字の名前「 松竹 まったけ」に関しても、同様に便宜上この項で一括して扱う。

五枚笹は、笑福亭一門定紋である。

大阪では母音を省略するのが一般的で、この松竹も「しょうちく」ではなく「しょちく」と読むのが正式な読み方である。


四代目 笑福亭 しょうふくてい 松竹 しょちく
本名 瀬尾 伝治郎
生年月日 1892年
没年月日 不詳年
出身地 日本
師匠 笑福亭松翁
名跡 1. 初代笑福亭鶴光
(? - 1930年)
2. 四代目笑福亭松竹
(1930年 - 1950年代頃)
活動内容 上方落語
所属 吉本興業

四代目 笑福亭松竹1892年 - 没年不詳・昭和中期)は、本名:瀬尾 伝治郎(昌平の諸説あり)。享年不詳。

経歴

四代目笑福亭松鶴の門下で、「初代笑福亭鶴光」を名乗る。後に所属の吉本興業を離れ、地道に活動を続ける。1930年に「四代目笑福亭松竹」を襲名。その後はラジオに時々出演するのみで、活動実態はほとんどなかった模様である。

五代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」が始まると、真っ先に参加した。戦時中は木炭商を営む一方、慰問団の結成や、陸軍病院の巡回などの活動により、表彰されている。

戦後も、1950年頃までは特別な会に時々出ては、珍しいネタ『十日戎』『大和橋』などをやっていたという。特に『宿屋仇』を得意としていた。

出典

関連項目


笑福亭松竹(まったけ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 14:55 UTC 版)

松富久亭松竹」の記事における「笑福亭松竹(まったけ)」の解説

6代目笑福亭松鶴門下松竹は「まったけ」と読む。そのため代数数えことはない。本名: 中埜浩三。 1951年7月11日生まれ大阪府立三国丘高等学校卒業1974年3月入門梅田トップホットシアター寄席にて初舞台。しかし1978年3月には廃業した廃業後も他の弟子僅かながら交流があり、2011年笑福亭小つる6代目笑福亭枝鶴襲名した際には、大師匠にあたる5代目編集の「上方はなし」をプレゼントし楽屋にやってきている。

※この「笑福亭松竹(まったけ)」の解説は、「松富久亭松竹」の解説の一部です。
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