立花道雪(戸次鑑連)の雷切
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はじめこの刀は、柄に鳥の飾りがあったことから「千鳥」と呼ばれた。『大友興廃記』によると、戸次鑑連(後の立花道雪)は若い頃(35歳)に半身不随になったとされる。時期に関してはおよそ天文17年(1548年)6月5日、鑑連が故郷の藤北で炎天下の日、大木の下で涼んで昼寝をしていたが、その時に急な夕立で雷が落ちかかった。枕元に立てかけていた刀千鳥でその雷の中にいた(雷神)を切ったとされる。実際に切ったかどうかははっきりしていないが、これより以降、鑑連(道雪)の左足は不具になるとも、勇力に勝っていたので、常の者・達者な人より優れて、馬を乗って敵陣に突撃する事もある。人々は道雪が雷もしくは雷神を斬ったなどと噂したという。道雪は千鳥の名を改め雷切丸とし、常に傍らに置いたといわれている。 この雷切は道雪の死後、彼の養子・立花宗茂の所有物として、刀に「立花飛驒守所持」と刻まれ、金が象嵌される。 立花家史料館にはもとは刀身が長く、太刀であったものを磨りあげて、脇差に直してある雷切丸が所蔵されており、実見してみると、切っ先から小鎬にかけて、それに峰の部分に変色した痕跡が見られる。もしかしたら、実際に雷に打たれた可能性があるとする指摘もある。 なお、元の名は「千鳥」だが、徳大寺家に伝わっていたとされる同名の刀とは無関係である。
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