同名の刀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 17:53 UTC 版)
太鼓鐘貞宗と号する短刀には、下総佐倉藩主である稲葉正往が所持していた同名刀の記録が遺されている。『日本刀大百科事典』にて刀剣研究家である福永酔剣の説明によれば、本作の由緒は不明であり稲葉家には贈答の記録に残されていないため徳川将軍家からの伝来品ではないと判断できる一方で、元和頃に記された『本阿弥光柴押形』には「御物」と記されているため徳川将軍家に伝わっていたものとも見られる。これらも踏まえ、正往が春日局の曾孫である点や妻が3代将軍家光の異母弟で知られる保科正之の娘である点から、徳川将軍家と距離が近いことから伝わってきたものと考えられるとしている。 また、仙台伊達家伝来の刀と稲葉正往所持の刀が同じ刀であるという見方もあり、伊達綱村は老中稲葉正則の娘である仙姫を正室に迎えていたが、1705年(宝永3年)に仙姫が死去した際に形見分けとして仙姫の兄である正往に贈られた。後に1720年(享保5年)に伊達家の記録にあることから、1716年(享保元年)に正往が死去した際、今度は伊達家にとっても重要な刀であったことを慮った稲葉家より返却されたと推測している。 しかし、『享保名物帳』にも稲葉家伝来として八寸三分半の短刀として記録されているが、現存する太鼓鐘貞宗の長さは八寸二分であり『享保名物帳』の記録とは異なる点や、伊達家の記録にも稲葉家との贈答の記録が遺されていいないため仙台伊達家伝来の刀と稲葉正往所持の刀が同一のものであるかは不明とされている。
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