立地の選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:14 UTC 版)
8世紀、聖武天皇時代に渡来した清賀上人は油山に茂る椿の実から油を絞って灯火に使うことを人々に教えた。これが油山の地名の由来といわれる。油山には比叡山延暦寺の分院があったとされる。12世紀、この地には三百余の僧坊があり、九州第一の学問の道場であった。筑前出身の鎮西上人は比叡山で修学の後、30歳の若さで油山僧坊の学頭になった。聖地油山の麓にある七隈こそ学問に相応しい地であった。 油山の裾野に広がる多くの池と、その池を囲む丘陵地は山紫水明の景勝地であり、勉学に勤しむには最良の自然環境が整った地であった。学校設置基準として、水質は重要である。この七隈丘陵地の地下岩盤は花崗岩質に覆われ、湧き水は最も良い水質の名水と言われていた。学校設立に反対する何者かにより井戸水に農薬等が投げ込まれたこともあったが、再度掘り直し、村の人たちによる昼夜の見張りが功を奏し、無事、水質検査を終えたという話が伝えられている。
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