移転・閉鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:02 UTC 版)
鳴海工場は開設以来敷地や建屋の拡大など抜本的な設備改修は行われなかったことから、後年の輸送力増強に伴う車両増備が進むにつれて、担当車両数に比して検修能力の不足が指摘される状況となった。また、設備の老朽化や陳腐化に加えて、技術の進歩によって保守の省力化を図った車両の割合が増加したにも関わらず、作業工程を最も作業時間を要する車両に合わせなければならないという「タクト・システム」の弊害が過大となりつつあった。そのため、名鉄では1980年代より鳴海工場に代わる新たな検修施設の建設を計画した。 その後、1992年(平成4年)に鳴海駅周辺の鉄道高架化事業(連続立体交差化事業)が名古屋市の都市計画事業として決定したことを受け、名鉄は名古屋本線の藤川 - 名電山中間に相当する岡崎市舞木町地内へ新検修施設(舞木検査場)を建設し、鳴海工場を移転することを決定した。舞木検査場は1997年(平成9年)3月に竣工し同年4月より稼動を開始、鳴海工場・検車区は1997年(平成9年)3月末をもって閉鎖された。前述の通り、検車区機能についてはやや遅れて1999年(平成11年)に名古屋本線豊明駅に隣接して開設された豊明検車区へ継承された。
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