移管経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 10:02 UTC 版)
1992年(平成4年)に千葉急行電鉄千葉急行線として大森台まで開業し、1995年(平成7年)にちはら台まで延伸開業し、引き続き既存区間の複線化(2000年4月目標)と辰巳台(ちはら台駅の南西)までの延伸が検討されていた。しかし、バブル崩壊に伴うおゆみ野・ちはら台の開発の遅れによって、沿線人口は伸び悩んでいた。そして、土地取得費用が跳ね返った高額な運賃体系がネックとなって乗客が需要予測と比べて少なかったことや減価償却費や金利の負担により、千葉急行電鉄は債務超過に陥り破綻した。 これにより、1998年(平成10年)に筆頭株主であった京成電鉄が経営を引き継いだ。その後も千葉中央駅を除く各駅の駅名標や各種案内サインの多くは千葉急行電鉄の様式を継承していたが、その後京成電鉄が2013年に新サインシステムを採用して以降、順次京成の新様式に更新されている。なお、移管と同時に未開業区間であるちはら台 - 海士有木間の免許も京成電鉄が譲り受けたが、延伸と既存区間の複線化については事実上凍結され、千原線の一日の利用者数が4万人に達した時に検討するとしている。
※この「移管経緯」の解説は、「京成千原線」の解説の一部です。
「移管経緯」を含む「京成千原線」の記事については、「京成千原線」の概要を参照ください。
- 移管経緯のページへのリンク