秩父氏一族の分立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 05:53 UTC 版)
秩父重綱の長男、重弘の息子である重能、有重は、それぞれ畠山氏、小山田氏を称した。畠山氏の子孫には奥州の豪族である浄法寺氏がおり、有重の三男、重成は稲毛氏を、四男の重朝は榛谷氏を称した。 重綱の次男、重隆の嫡男である能隆は葛貫氏を称し、能隆の嫡男の河越重頼は河越氏を称した。重綱の三男、重遠は高山氏を称し、子孫には、新田義貞の家臣である高山重栄、キリシタン大名・高山右近、幕末の高山彦九郎がいる。 重綱の四男、重継は江戸氏を称し、武蔵の豪族として栄えた。子孫には、徳川綱吉の代に大名に列した喜多見氏や、後北条氏に仕えて近世まで残った蒲田氏などがいる。 重綱には他にも、小宮五郎、塩原重治の息子がいた。 重綱の弟である基家は河崎氏、或いは小机氏を称し、孫の重国の代に渋谷氏を称した。この一族は、本拠地が相模国であったため、本家から独立したのである。渋谷氏は相模、九州、陸奥に勢力を持ち、特に九州渋谷氏が有名である。この氏族の中から東郷平八郎が出た。重国の弟の重実は中山氏を称した。 重綱の叔父で、武基の兄である武家は高麗氏を称した。武家の息子である忠兼は、白河氏を称し、その息子の親忠は赤木氏を称した。 前九年の役で戦死した武常の曾孫である朝経・清重は、それぞれ豊島氏、葛西氏を称し、前者が武蔵、後者が陸奥の大族として発展したのである。
※この「秩父氏一族の分立」の解説は、「秩父氏」の解説の一部です。
「秩父氏一族の分立」を含む「秩父氏」の記事については、「秩父氏」の概要を参照ください。
- 秩父氏一族の分立のページへのリンク