秩父札所の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:53 UTC 版)
32番札所の法性寺に1488年(長享2年)の秩父札所番付(長享番付)が残されており、室町時代の後期には秩父札所が定着していたと考えられている。これによると当時の秩父札所は1番から33番までの33ヶ所で20番以外は全て現在とは番付が異なっている。長享番付の1番は現在17番の定林寺、33番は現在の34番の水潜寺であり、現在1番の四萬部寺は長享番付では24番、現在2番の真福寺は番付外である。その後、16世紀後半に百観音信仰の風潮がおこり西国・坂東に比べて歴史が浅く地域的にも増設の条件にも恵まれた秩父の札所が増設されて34ヶ所になり、番付も江戸からの参拝者の便を考えて現行の番付になったと考えられている。
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