秘事法門について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 09:45 UTC 版)
後に本願寺と三門徒が対立したこともあり、如道は悪名高い秘事法門の主唱者として強く非難されている。加賀国光教寺顕誓が執筆した「反古裏書」には、覚如が越前国に赴いた際に如道はその教化を受けたが、覚如が上洛すると彼は秘事法門の邪義を唱えるようになったので門徒から追放されたとある。秘事法門とは親鸞が義絶した息子である善鸞の法統を引くもので、教団指導者は代々「唯授一人口決」を受けて親鸞位に登り、自己を仏とし仏像への礼拝を拒絶したといわれる(「大谷本願寺通紀」)。 しかし、如道と覚如は最後まで仲は良かったので、如道が邪義を唱えたために破門されたとの「反古裏書」の記事は事実に反している。しかも如道の著作をみても秘事法門の色彩は全くみえない。如道の没後、大町専修寺第4世の某が浄土宗に傾倒したため本願寺第6世巧如によって破門されたという経緯があるので、おそらくこの大町専修寺への敵対感情によって如道像が歪曲されたのであろうと思われる。また、小泉義博によると「反古裏書」に書かれている内容を読むと、時代的に如道となっているところは如道の子である如浄の書き間違いであるとし、秘事法門にしても、如浄とその子大町専修寺第3世良金が浄土宗に傾倒していた事を指しているのだろうとしている。
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