秋山 エリカ

芸名 | 秋山 エリカ |
芸名フリガナ | あきやま えりか |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1964/12/31 |
星座 | やぎ座 |
干支 | 辰年 |
出身地 | 福岡県 |
URL | http://www.peaks-sports.com/athlete_akiyama.html |
プロフィール | 幼少の頃よりバレエに親しみ、中村学園高校時代に器械体操から新体操へ転向。東京女子体育大学時代に頭角を現し、1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪と連続で代表に選出。全日本選手権を1984年から6連覇するなど、第一人者として一時代を築く。現役引退後は、公演・講師・メディア活動と活躍する傍ら、海外コーチ研修を経て、東京女子体育大学准教授、また、社団法人日本新体操連盟の理事として後進育成に力を注ぐ。 |
代表作品1 | 著書『親と子の新体操あそび』 |
代表作品2 | 著書『ザ採点競技』 |
職種 | 文化人 |
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秋山エリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 01:28 UTC 版)

秋山 エリカ(あきやま エリカ、1964年12月31日 - )は、東京女子体育大学教授、体操コーチ、日本の元新体操選手。福岡県出身。東京都国立市在住[1]。
来歴
ツルタみとま幼稚園、福岡市立博多第二中学校、中村学園女子高等学校[1]、東京女子体育大学卒業。
幼少期
- 幼いころは病弱だったが、バレエに親しむ。
学生時代
- 博多二中在学中、器械体操を始める。
- 中村学園女子高等校進学時、器械体操から新体操に転向。はじめはミスが多かったものの、東京女子体育大学に進学したころから、頭角を現しはじめる。
- 様々な工夫を施した演技構成・種具操作と、特に肩の関節の柔らかさを駆使した独創的な動き知られ、特にフープの首キャッチ、フープの蹴り上げ、リボンの蹴り上げなどは秋山のオリジナルである。
オリンピックに出場
- 1984年ロサンゼルスオリンピック・1988年ソウルオリンピックに出場し、1984年から1989年まで全日本選手権で6連覇を達成する。
- 1989年の世界選手権では、予選で上位国の選手が2人ずつに絞られた効果もあったが、堂々の8位入賞を果たした。ソ連・ブルガリアといった新体操強国が参加した世界選手権としては、日本人最高順位である。翌1990年に現役を引退した。
引退後
- 現在は海外でのコーチ研修などを経て、後進の指導にあたっている。多彩な工夫を盛り込んだ秋山の指導により、世界の舞台に立っている選手も多い。
- また、テレビ放送の解説者や講演会の講師、東京女子体育大学教授としても活躍している。現役時代から演技にこだわりを持ち、妥協を許さないことでも知られている。
主な試合結果
- 1983年 世界選手権大会(ストラスブール)日本代表(個人総合27位)。
- 1984年 ロサンゼルスオリンピック出場(個人総合13位)。(56.050)
- 1985年 世界選手権大会(バリャドリッド)日本代表(個人総合30位)。
- 1987年 世界選手権大会(バルナ)日本代表(個人総合16位)
- 1988年 ソウルオリンピック出場(個人総合15位)。(58.050) 。
- 1989年 世界選手権大会(サラエヴォ)日本代表(個人総合8位入賞)。
参考文献
- 浅井慎平撮影「'84ブラザーカップ新体操写真集~Passion flowers」日本文化出版(1984/07)
- 加茂佳子・後藤忠弘・山田真一(写真)「スポーツのみかた1新体操」保育社カラーブックス(1984/08)
- 道徳資料としても登場 「4年生のどうとく」文渓堂(平成21年度版)p. 118-119
DVD
- 東京女子体育大学 ~新体操~ ティアンドエイチ株式会社(2004年)
- 東京女子体育大学 新体操部 わかりやすい実技と解説 ティアンドエイチ株式会社(2016年)
注釈
出典
- ^ a b “中村学園女子高生徒を秋山エリカさん激励、五輪の新体操でエスコート”. 西日本新聞 (2021年8月1日). 2022年2月18日閲覧。
外部リンク
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固有名詞の分類
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