福井藩士時代
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天保2年(1831年)7月10日、福井藩の下級武士(切米15石3人扶持)である佐藤幸右衛門(後に恒右衛門と改名)の子として生まれる。幼少期より学を好み、福井藩の儒学者高野真齊から漢学を習う。橘曙覧、井上文雄から漢詩、和歌を習う。 安政4年(1857年)11月9日、26歳の時、藩校明道館幹事局手伝いに任命される。1858年(安政5年)7月29日、刻量の研究を命ぜられ、篆刻研究に入る。 元治元年(1864年)6月、僧籍から還俗した山階宮晃親王の付け人取り次ぎ方を命ぜられ京都に派遣され、慶応2年(1866年)11月まで務める。 慶応3年(1867年)8月、福井に帰郷。10月17日松平春嶽の祐筆を命ぜられる。大政奉還後の1868年(慶応4年)1月、山階宮の付き人に再び命ぜられる。宮の計らいで内記に改名する。京都滞在中、羽倉可亭に篆刻を学ぶ。同年8月福井に帰郷。10月27日東京赴任を命じられる。
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