神戦の伝説
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神々が石合戦を行ったという伝説として、以下の話が語られている。参考は、柳田国男 『日本の伝説』 角川文庫 改版15版1977年(1版53年) pp.125 - 126. 越中国舟倉山の神・姉倉媛は、能登国石動山・伊須流伎(イスルギ)彦の奥方だったが、後に杣木山の神・能登媛を妻としたため、二山の間で嫉妬による争いが起こった。布倉山の布倉媛は姉倉媛に加勢し、甲山の加夫刀(カブト)彦は能登媛を助け、大きな神戦となり、国中の神々が集まり、仲裁なされた。一説に、毎年、10月12日の祭りの日には、舟倉山と石動山の石合戦があり、舟倉の権現がつぶてを打ちたまうゆえ、この山の麓の野には小石が無いのだとされ、逆に岩倉に多いのは、その投げた石が落ちたためとされる。 この越国神話は、富山藩士が文化12年(1815年)に記述した『肯構泉達録(こうこうせんたつろく)』に所収される。江戸期に記録されたため、後妻打ちという表現が用いられており、能登媛が加夫刀の助けを借りた際、波を高くして投石を防いだと記述される。考古学者の森浩一は、越国の女性勢力の強さを象徴した話と見る(『エコール・ド・ロイヤル 古代日本を考える9 古代日本の豪族』 学生社 1987年 p.273.)。
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