神戦の舞台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:00 UTC 版)
『信重解状』では、諏訪明神は天から守屋山麓に降りたと書かれている。『画詞』のほうでは明神の守屋山への降臨が語られていないが、入諏伝自体が上述のとおり上社本宮の近辺にある藤島社(「藤島の明神」)の由来譚として述べられている。一方、江戸期の伝承記録における異伝では洩矢神と藤島明神(諏訪明神)が天竜川のほとりで争ったとされている。 現在は、天竜川を挟む藤島神社(岡谷市川岸三沢)と洩矢神社(岡谷市川岸東橋原)が二柱の神の陣地の跡と一般的に認識されている。この理由から、岡谷市の藤島神社が『画詞』に書かれている「藤島の明神」(『守矢氏系譜』の「藤洲羽森」)と同視されることもある。
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