神仙としての手長・足長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:40 UTC 版)
上記のような荒ぶる巨人としての存在とは別に、神・巨人・眷属神としての手長足長、不老長寿の神仙としての手長足長もみられる。 室町時代に編纂された『大日本国一宮記』によると、壱岐(長崎県)では天手長男神社が国の一の宮であった とされ、天手長男(あめのたながお)神社と天手長比売(あめのたながひめ)神社の2社が存在していた。 長野の上諏訪町(現・諏訪市)では、手長足長は諏訪明神の家来とされており、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、足長神社が存在する。この二社は記紀神話に登場している出雲の神である奇稲田姫(くしなだひめ)の父母・足名稚(あしなづち)と手名稚(てなづち)が祭神とされているが、それは巨人ではないかという説、ユダヤ系人物ではないかという説がある。また、建御名方神(たけみなかたのかみ)が諏訪に侵入する以前に、諏訪を支配していた神の一つで、洩矢神(もりやのかみ)と共に建御名方神と戦ったとされる。 これら社寺に関連する「てなが(手長)」という言葉について柳田國男は、中世ころまで給仕者や従者を意味していた「てなが」という言葉が先にあり、「手の長い」巨人のような存在となったのは後の時代でのことであろうと推測している。
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