社会活動・晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 14:27 UTC 版)
「アーネスト・トンプソン・シートン」の記事における「社会活動・晩年」の解説
1902年、コネチカットで少年キャンプを行い、ウッドクラフト・インディアンズという少年団を創設する。シートンの提唱したウッドクラフト(森林生活法)とは、インディアンの生活を理想とした素朴なエコロジーと自然主義であった。同時に雑誌「レディーズ・ホーム・ジャーナル」誌にウッドクラフトとキャンプについての連載を開始する。 1903年、「二人の小さな野蛮人」を出版し、ウッドクラフトの本格的な普及をはじめる。これをイギリスで普及させるため、軍人で青少年教育に関心の深いロバート・ベーデン・パウエルに手紙と著書を送ったことから、のちに彼がボーイスカウトを発足させる大きなきっかけとなる。 1904年、グレース・ギャラトンとの間に娘のアン(1904年 - 1990年)が誕生する。 1910年、米国ボーイスカウト連盟の理事長(チーフ・スカウト)も務めたが、1915年に他の指導者との意見の食い違いから袂を分かつことになる。その後もウッドクラフト・インディアンズで子供達に自然のすばらしさを教えたり、鳥類保護のための法律の施行にも尽力した。 1930年、ニューメキシコ州のサンタフェに移り住む。同年、アメリカの市民権を取得する。 1934年、長年連れ添ったグレース・ギャラトンと離婚する。 1935年、ジュリア・バトリーと再婚する。 1946年、老衰のためニューメキシコ州の自宅で死去。86歳没。
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