確実な現存が未確認である理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 01:34 UTC 版)
「大平元宝」の記事における「確実な現存が未確認である理由」の解説
現存が僅少である、また確認されていないということから、当時一般流通は無かったとする推論を立てた上で、以下のように説明されている。この新規発行の銀銭(大平元寳)1枚を新銅銭(萬年通寳)10枚分として、萬年通寳に対して銀銭の1/10もの価値をもつ非常に有利な交換率を提示して、旧銅銭(和同開珎)10枚 = 新銅銭(萬年通寳)1枚の法外な比率を目立たなくし、新銅銭の価値感覚を高める目的、即ち貨幣価値・レートを設定する目的の”見せ金”に過ぎなかったとする説もある。 実際にこの公定交換率で交換を実施すれば、萬年通寳から大平元寳への交換を希望する者が殺到するのは火をみるより明らかであり、律令政府の大平元寳の備蓄は直ちに底を付き、萬年通寳の流通に支障を来たすと考えられる。また和同開珎100枚分の価値に相当することから私鋳銭が現れることは必至であり、このことによる貨幣経済の混乱を避けるため、大平元寳を流通に投じることをしなかった、とする説もある。 和同開珎(旧銭)1000枚 = 萬年通寳(新銭)100枚 = 大平元寳(銀銭)10枚 = 開基勝寳(金銭)1枚 の十進法。 『続日本紀』の記事。ここで「旧銭」は和同開珎を指す。 天平寳字四年 三月丁丑(3月16日)勅。銭之為用。行之已久。公私要便、莫甚於斯。頃者。私鋳稍多。偽濫既半。頓将禁断。恐有騒擾。宜造新様与旧並行。庶使無損於民、有益於国。其新銭文曰萬年通寳。以一当旧銭之十。銀銭文曰大平元寳。以一当新銭之十。金銭文曰開基勝寳。以一当銀銭之十。 2017年、奈良国立博物館列品室長の吉澤悟が、大平元宝が現存していない理由として、藤原仲麻呂の乱を起こして敗死した藤原仲麻呂と彼に連座して廃位された淳仁天皇の事績を打ち消したい称徳天皇がこれを回収させ、銀壺(現在は正倉院宝物)に鋳直させた上で東大寺に奉納したのではないかとする説を唱えた。
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