眞船豊とは? わかりやすく解説

まふね‐ゆたか【真船豊】

読み方:まふねゆたか

[1902〜1977劇作家福島生まれ戯曲「鼬(いたち)」で注目され久保田万太郎師事第二次大戦後は笑劇ファルス)やラジオドラマに力を注いだ。他に「裸の町」「中橋公館」など。


真船豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 07:46 UTC 版)

1955年

真船 豊(まふね ゆたか、1902年2月16日 - 1977年8月3日)は、劇作家小説家福島県生まれ。代表作に戯曲「鼬」「裸の町」「遁走譜」「中橋公館」、ラジオドラマ「なだれ」などがある[1][2]映画監督テレビドラマ演出家真船禎は息子。

概要

1902年(明治35年)、父・禎吉、母・いとの次男として福島県安積郡福良村(現:郡山市湖南町)に生まれる。小学校を卒業後、北海道の海産物商に養子に出されるが小僧扱いを受け1年余で上京、1915年(大正4年)4月、早稲田実業に入学する。この頃より芝居に熱中する。1923年(大正12年)、早稲田大学英文科横山有策に師事する。在学中に半年ほど病院生活を送り、その後自分を鍛え直すために北海道に行き、遠軽家庭学校の農場にて働く[3][4]

1926年(大正15年・昭和1年)、戯曲「水泥棒」「馬市が来て」を発表。1927年(昭和2年)、戯曲「寒鴨」「残された二人」を『早稲田文学』に発表。その後社会主義の影響を受けて早稲田大学を中退、四国で農民運動に参加する。1929年(昭和4年)頃、横山雄策の死去を受けて帰京する。その後大阪毎日新聞大津支局員になるが十ヶ月で退職する。1931年(昭和6年)、プロット(日本プロレタリア演劇同盟)戯曲研究会に参加、またこの頃結婚する[4][5]

1934年(昭和9年)、戯曲「鼬」が久保田万太郎の演出により創作座で上演されて注目をあびる。1936年(昭和11年)には「太陽の子」「裸の町」「見知らぬ人」、1937年(昭和12年)に「遁走譜」などの作品を発表。「太陽の子」「裸の町」は映画化もされる。また同時期には「なだれ」(1935年)、「激流」(1939年)などのラジオドラマ用の放送劇も書き、昭和13年頃はその界隈で「真船時代」と呼ばれる[4][5]

1939年(昭和14年)3月、妻が死去。10月、妻の文も載せた随想集『顔』を刊行。「太陽の子」が文学座により初演される。翌年には「遁走譜」が新協劇団により初演。1941年(昭和16年)、「山参道」を発表、新生新派により公演され、翌年、情報局賞を受ける。1942年(昭和17年)5月、満州建国十周年慶祝会に招かれる。北支も訪れる。1944年(昭和19年)3月、北京に旅行。9月、中国に旅行しハルビンで年を越す。1945年(昭和20年)12月、第二次世界大戦の終戦を受けて、引き揚げ帰国する[4]

戦後は笑劇(ファルス)、諷刺劇、ラジオドラマを中心に活躍。「中橋公館」(1946年)、「黄色い部屋」(1948年)、「赤いランプ」(1954年)、「善光の一生」(1963年)といった戯曲のほか、長編小説『忍冬』なども書く。1948年(昭和23年)、『真船豊選集』全5巻の刊行開始。1952年(昭和27年)3月、第3回NHK放送文化賞を受賞。1955年(昭和30年)、読売文学賞銓衡委員となる[4]。戦後は鎌倉に住んだ。1953-56年読売文学賞選考委員。

1977年(昭和52年)8月3日死去。75歳没[5]。墓所は渋谷区祥雲寺。1979年(昭和54年)、故郷の郡山市湖南町にある青松浜に出世作『鼬』の一節を刻んだ文学碑が建てられる[6]

著書

  • 『鼬』双雅房 1935
  • 『戯曲以前の言葉』双雅房 1937
  • 『裸の町』双雅房 1937
  • 『なだれ ラヂオドラマ集』双雅房 1938
  • 『遁走譜』双雅房 1938
  • 『顔 随想集』双雅房 1939
  • 『廃園』双雅房 1939
  • 『見しらぬ人』創元社 1939
  • 『孤雁』創元社 1940
  • 『緑窓日記』創元社 1941
  • 『田園』小山書店 1942
  • 『真船豊集』坂上書院 1942(昭和演劇新書)
  • 『山参道』二見書房 1942
  • 『孤園独語 随筆集』小山書店 1942
  • 『鶉』小山書店 1943
  • 梅原龍三郎』石原求竜堂 1944
  • 『戯曲について』高山書院 1946
  • 『中橋公園』桜井書店 1946
  • 『姉妹』八雲書店 1947
  • 『ねむりねこ』小山書店 1948
  • 『美について』文藝春秋新社 1948
  • 『真船豊選集』全5巻 小山書店 1948-50
  • 『陽気な家族』板垣書店 1949
  • 『忍冬 長篇小説』木曜書房 1949
  • 『真船豊ラジオ・ドラマ選集』宝文館 1951
  • 『白魚 小説集』創元社 1951
  • 『真船豊一幕劇集』未來社 1957
  • 『孤独の徒歩』新制社 1958
  • 『美と愛と人生』文理書院 1967

脚注

  1. ^ 真船豊とは - コトバンク
  2. ^ 真船 豊とは - コトバンク
  3. ^ 福島県立図書館 - 福島の児童文学者 27 真船 豊(2021年2月9日閲覧)
  4. ^ a b c d e 小笠原克編「眞船豐年譜」『現代日本文學大系 58』筑摩書房、1972年、pp.485-488
  5. ^ a b c 真船豊とは - コトバンク - 大島勉「真船豊」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館(2021年2月9日閲覧)
  6. ^ 郡山市観光協会 - 青松浜(真船豊文学碑)(2021年2月9日閲覧)

外部リンク




眞船豊と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

眞船豊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



眞船豊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの真船豊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS