相次ぐ経営母体の流転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 03:18 UTC 版)
「チョークス・オーシャン・エアウェイズ」の記事における「相次ぐ経営母体の流転」の解説
1974年、バハマの首都ナッソーの北に浮かぶパラダイス島(英語版)でリゾートホテルを展開していたリゾーツ・インターナショナル・ホールディングス(英語版)の傘下に入り、パラダイス島への輸送手段としてリゾート客の重要な足として利用されたが、夜間の発着ができなかったことが災いし、1989年に同社がSTOL機に対応する滑走路を建設してパラダイス・アイランド・エアラインズ(英語版)を立ち上げ、飛行艇が不要になったことでリゾーツ社の手を離れ、投資会社ユナイテッド・キャピタル(ユナイテッド航空とは無関係)に売却された。 ユナイテッド・キャピタル傘下に入り、新たにキーウェストとナッソーへの路線が開設され、機材も増やすなど、拡大路線がすすめられたが、経営状態は芳しくなく、結局1996年には再び別の投資家グループに売却され、社名もパンナム・エアブリッジに変更された。 1998年、テキサス州の航空機リース会社エア・アラスカがパンナム・エアブリッジの株式の7割を取得し、同社の子会社となったが、エア・アラスカは1年足らずで破産し、そのあおりを受けてパンナム・エアブリッジも1999年1月11日に連邦破産法第11章を申請し、経営破綻した。 イースタン航空で機長として勤務したことのあるビジネスマン、ジェームズ・コンファローンが92万5000ドルで買い取ったのを機に再建計画が進められ、いったんは保有機材2機、従業員わずか35人まで大幅に規模を縮小するも、その後グラマン マラードを5機購入し、さらにグラマンG-111Tターボ・アルバトロスを14機購入する契約を交わして再び規模拡大を図った。 1999年12月17日、社名をチョークス・オーシャン・エアウェイズに変更した。 2001年8月には横浜国際航空の設立準備にあたって機材と運航ノウハウを提供する契約を交わしたが、結局横浜国際航空側の計画の不備により就航ともども実現しなかった。
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