皇太弟となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:32 UTC 版)
戦いに勝利した司馬穎は丞相に任じられ、20郡を増封された。殿中では司馬穎の嫌悪を買っていた人物は皆処刑されるか異動を命じられ、宿衛兵も司馬穎の意に沿う者に入れ替えられた。司馬穎は一度は洛陽に身を置いたものの、すぐに再び恵帝を残して鄴に戻った。 2月、司馬穎は上書し、皇后羊献容を廃して金墉城に幽閉させ、皇太子司馬覃を廃して清河王に落とすよう要請した。朝臣はなす術を知らず、これに従う他なかった。3月、司馬顒は上書して司馬穎を世継ぎに立てるよう求めると、司馬穎は皇太弟となり、丞相の職務はそのままで都督中外諸軍事を兼任するようになった。また、司馬顒は太宰・大都督・雍州牧に任じられた。制度は曹操の故事に倣うものとし、皇帝の輿・服・器物等が鄴城に運ばれた。さらに、上表して宿衛兵を丞相府に移し、王官宿衛と称した。 司馬穎の奢侈は日に日に悪化するようになり、自らが君主であるかのように振る舞うようになった。さらに孟玖ら寵臣に政治を任せたので、民衆を大いに失望させる結果となった。
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