登位以前の略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 13:55 UTC 版)
ラムセスの父・セトナクトは第20王朝最初のファラオである。第19王朝の瓦解後の政情についてラムセスの息子のラムセス4世によって編纂されたハリス・パピルス(英語版)は以下のように記述している。 第19王朝は外部より崩壊した。統一した政権が無くなったことで各地に軍閥が割拠して内戦状態に陥った。互いに殺しあった後に「パレスチナ (シリア) 出身者」が支配者となったが、各国に貢物を要求し、他人のものを掠め取った。また、神々を人間と同じように見なしたため、神殿に生贄を捧げる者は無くなった — ハリス・パピルス。 この「パレスチナ出身者」は「イルス (Irsu)」という名前であったが、その正体は明らかではない。ドイツの歴史家のフィリップ・ファンデンベルク(ドイツ語版)は第19王朝末期のファラオであるサプタハやタウセルトの時代に権限を握ったバイ(英語版)やパレスチナ出身のエジプト軍幹部などの名前を挙げ、タニスで政権を運営していたとしている。 セトナクトはイルスを討伐してファラオについたが、既に高齢だった事もあり、その治世は2年で終わった。なお、ラムセスはセトナクトの共同統治者であった。
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