登位前の背景:生前戴冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 15:42 UTC 版)
「シャープール2世」の記事における「登位前の背景:生前戴冠」の解説
シャープール2世の時代は初期サーサーン朝の中央集権化プロセスの一つのピークであると考えられる。大貴族はシャープールの登位を後押しした。この大貴族達がどういう勢力なのかははっきりしないが、まだ生まれてもいないシャープール2世を君主として担ぎ上げることを決める。母はユダヤ人であるといわれ、妊娠中の腹に王冠が置かれた。それまでの王家のバハラーム系とナルセ系の対立を見れば、王統が二分する危険性を認識していたのだろう。兄たちのうち一番上の兄は殺され、2番目の兄は目を潰され、3番目の兄は牢獄へ閉じ込められている(苦しくも先代の時と同じくホルミズドという名前で、彼もローマへ逃げている)。3人の王子たちを差し置いて、生まれる前から君主とされたのは史上稀に見るケースである。 当初、幼いシャープールは貴族の傀儡と言っても良かったが、貴族の黙認の下に権力を握っていった。ローマ帝国のディオクレティアヌスやコンスタンティヌス1世の改革がサーサーン朝の政体、強力な中央集権化の参考にされたことは想像するに難くない。
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