発覚と裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:35 UTC 版)
事件後、乗組員だった田中三木蔵と菊池種松が、罪の意識に耐えかねて自首したことにより事件が発覚、さらに「兵站」として使用していた稚内の倉庫から大量の武器弾薬が発見されたことにより、江連は直ちに全国に指名手配となる。江連は情婦の「生首お梅」と参謀格の石川房吉を引き連れ、札幌郡下手稲村(現在の札幌市手稲区)の温泉旅館・光風館に逗留していたが、同年12月13日、警官隊の急襲を受ける。彼らは、特に抵抗することもなく縛についたという。 江連は取調べの席でも法廷においても「尼港事件で殺害された日本人の霊をなぐさめるため、天にかわって正義の剣をとり、懲罰をこころみた」旨弁明を続けていた。3年間、未決であったが、1925年(大正14年)2月27日、懲役12年の刑に処せられた。また起訴された他の乗組員34人には懲役12年から罰金500円までの有罪判決が下った。
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